お江(ごう)様はなんか徳川家にはなじめない様子です。

大河ドラマの「江(ごう) 姫たちの戦国」を観ているのですが、徳川家にお輿入れしてからは、江(ごう)様の笑顔を見ることがほぼなくなりました。

私はそれを、出身の違いのせいではないかと思うのです。

つまりお江(ごう)様の出身家である織田信長の織田家と輿入れした徳川家があまりにも違いすぎているのではないかと思うということです。

よく、例えで織田家と徳川家の違いを表してますが、信長ほ「鳴かぬなら殺してしまえ、ホトトキス」なのに対して、家康は「鳴かぬなら鳴くまで待とう、ホトトキス」と言われることもあります。

これだけの違いがあります。

お江(ごう)様は徳川秀忠を含めて3度結婚をしており、1度目は秀吉の命により佐治一成と結婚。

一成とはいとこ同士でもあり、一成の性格も明るくかったつです。まだ江(ごう)が幼かった(お江(ごう)様の誕生年は1573年8月で、一成と結婚したのがこれははっきりとした記録がなく、諸説あるのですが1584年とする説が一般的なので、それで計算すると、一成と結婚した時のお江(ごう)様の年齢はわずか11歳です)

幼かったせいもあり、一成との年齢が離れすぎていたせいもあり、妻というよりは親戚もしくは、兄妹という感じでした。

それに佐治一成の母君は織田信長の妹の犬だったこともあり、同じ織田家出身のようなところがありました。

この縁談は、一年も経たないうちに秀吉によって離縁させられ、その後一成は領地から追放になっています。

2番目に結婚した相手は秀吉の甥の秀勝です。この結婚は3度の結婚の中で唯一、お江(ごう)様の自由意志で行ったもので、秀勝とは相思相愛でした。

しかし、結婚して早々に秀勝は朝鮮へ出兵し、病死します。

秀勝の性格は明るくて、自由闊達てあり、そのせいで、秀吉にものを言いすぎて追放になっていた時期もありました。

そして問題の3番目の夫の徳川秀忠ですが、過去2回の結婚相手が明るく、素直にお江(ごう)様のことを好いていたのと比べると、初対面時から結婚してもしばらくの間全く反りが合わず、この辺りはやはり徳川家の血筋のあまり感情面を外に出さず、慎重な上に慎重で、忍耐力に関しては優れているが、人を愛したりすることは苦手な家系なのだと思います。

織田家の感情面をさらけ出し、多少無謀なことでも勢いでやってのけ、それでいて人を惹きつける何かがあるのとは、徳川家は正反対に思えます。

その点、お江(ごう)様にとっては、反りが合わないのは当然といえば当然だと思います。

その点がやはり結婚生活においても秀忠と心通わせることができなかった理由の一つだと思います。

それに、秀忠と心が通じ合ってからも、やはり徳川家は独特で、義父である家康とも心通わせることは本当の意味では、皆無であったですし、周りの秀忠の乳母や長男竹千代のうはの福とも長年にわたってもめてきたことも、お江(ごう)様にとっては、辛かったと思います。

織田家と徳川家はそれほど違うということです。

そしてその違いすぎる環境で生きてきたお江(ごう)様は以前は見せていた、底抜けに明るい笑顔を見ることがなくなりました。

via PressSync

コメント